雑に記す。

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白昼夢の青写真 プレイ感想

Laplacianさんの白昼夢の青写真のプレイ雑感になります。じぶんはLaplacianさんのゲームをプレイするのは今作がはじめてです。


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購入したキッカケは、ペリカンさんによる体験版公式実況動画です。


恋愛強者による“白昼夢の青写真”実況プレイ part1 - YouTube

 

登場人物も時代もまったく異なる3つのストーリー「Case1、2、3」を読み進め、

その後にグランドルートと言えるCase0ですべてをまとめあげる。

あらゆる角度から、読者の感情を揺さぶってくる作品でした。

一種の群像劇のような構成は、ノベルゲームではとても新鮮に感じ、伊坂作品や成田作品のような群像劇好きな自分にとっては、とてつもなく好みでしたね。

 

Case1~3までの短編の出来が、それだけで小説として売れるであろうと思ってしまうほど単体でみただけでもあまりにも出来がよく、それを最終的にCase0でどういうことなのかをわかりやすく読者に説明しながら回収させ、1つの大きな感動の物語として完成させたところを見せつけられたとき、こんな上手な構成をなんで思いつけるんだとライターさんの巧さに感嘆しました。Case0を終えたときには、感動して涙が出ましたね。

 

それぞれの短編に共通するのは、ヒロインと主人公の恋愛模様ということと、別れの物語であるということ。

 

以下、ネタバレ多発するので、未プレイの方はご注意を。

 

本作品は、Case1~3をどの順番でプレイするか読者にゆだねられています。

自分は今回は雰囲気が明るそうな順番にプレイしていこうと思い、

Case3→2→1の順番でプレイを行いました

個人的にはこの順番で大正解だったと思います。

 

今回はプレイしたCase順に雑感を書きます。

また、Case3,2,1の雑感部分に関しては、そこではCase0の結論をふまえない形で一旦書くことにします。

 

Case3 すももの物語

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『未来ラジオと人工鳩』での世界観での作品。

ひと夏のさわやかな自分探しの青春短編小説。

「亡き主人公の母が撮りたがっていた景色の場所」を、主人公カンナと教育実習生のすももが探す過程で、お互いの「自分探し」をかなえていくというストーリー。

 

・甘酸っぱい自分探しものというテーマはよくみるものですが、個人的にとてもいいと思ったのは、すももと梓姫の軽快で、ある種乱雑な言動による心地いいテンポの読書感。
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こういうキャラクターが述べることだからこそ、シンプルに心に響く言葉が多いなと強く感じましたね。


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すももの素直な表現が、主人公と一緒に読者のことを深く納得させる。

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 梓姫の普段の言動が適当そうに見えるけど、ここのところはすさまじく鋭いなと感じました。自分探しの旅という単語はよくきく単語だけど、これはその通りかもな。

 

実際に、カンナはすももを撮るなかで、母と違って風景ではなく、人物を自分は撮っていきたいんだということに気付き、すももは実習先の生徒をメイクとカットをしてあげることで自分の進むべき先をみつけている。

自分がまったくいってない場所で偶発的に自分のやりたいことがみつかるわけじゃなく、身の回りから自分で見つけてつかんでいくものなのかなと、僕自身も参考にしようと思いました。もう青春って歳じゃないかもしれないですが。

 

・Case3で一番好きなのは、下記の両構図です。

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 どっちもほんとにサイコーにイケてるすももだ。

 

・仕事や就職活動や勉強など、自分は一体なにがやりたくてこんなことをやってるんだろうな、と感じたことがある人はとても多いと思うので、それらについて悩みながら2人が道を示すこの物語は、さわやかな読後感を覚えつつ自分も頑張っていこうと思えるいい物語でした。

 

Case2 オリヴィアの物語


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ニュートンと林檎の樹』と同じ時代の世界観

女が舞台にあがることが許されなかった時代に女優を目指したオリヴィアと、シェイクスピアの物語。

現実のシェイクスピアの人生と作品を、あらたな解釈で描いたもの。

 

シェイクスピアの『真夏の夜の夢』『ハムレット』『ロミオとジュリエット』の誕生秘話を創作しており、シェイクスピア作品そのものを、主人公の境遇と重ね合わせることでこの物語を構築していくというのは、ライターのテクニックという点での巧さを特に感じました。

 

具体例↓

 ハムレット

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ロミオとジュリエット
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そしてCase2で一番好きなシーンです↓

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ロミオとジュリエットの悲劇の別れと、ウィルとオリヴィアの悲劇の別れを同時に描く名シーン。

めちゃくちゃに綺麗だ…

 

・これは完全に個人的な事情なんですが、ここ一年近く、マチネとソワレ、推しの子やアクタージュといったような、演劇漫画等に僕はまっているので、演劇を題材にした作品というのは刺さりました。

ウィルの演劇に対する↓のような描写すきすぎるんだよな。

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ウィルがオリヴィアを騙しきる女装を魅せるシーンはほんと惹かれましたね。

 

・他のCase1や3とちがい、よりサブキャラクターが数おおく登場するルートでもあり、キャラクター間の会話も非常にたのしかったですね。

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キキとトーマスが作品の登場人物として、あまりにいいキャラすぎる。

 

・Case2で少し残念に感じてしまったのは、「女性解放」と「カトリック問題」という大きいテーマを登場させていたけれども、あくまで物語を進めるうえの舞台装置としてだけ使って、解決がしないどころか、そもそもその後それらにはほとんどふれられなかったことですかね。

ただし、これはあくまで、各Caseをそれぞれ単一の作品という小さな枠組みでみた場合にネックとなることです。

すなわち、白昼夢という全体でみた場合には各Caseで大切になるのは「主人公とヒロインの出会いと別れの物語」であるわけなので、そこを綺麗に描くことこそが、大きな枠組みで考えれば重要なので。

じぶんが残念にかんじたというところまで解決するように付け加えて描いてしまうと、白昼夢全体としてみるとCase2だけ野暮ったくなってしまっていたとおもうので、これこそが正解なんでしょうけどね。

 

Case1 凜の物語

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 『キミトユメミシ』の世界観を舞台にした作品

非常勤講師有島と、女学生波多野凛が、お互いの人生を狂わせた大作家波多野秋房という共通点を介しながら、心を通わせていく作品。

 

・Case1は、非常に繊細な心の機微、情熱と狂気と諦念を、死である秋房と生である凛への感情を通じ描くあまりにも純文学な作品。読んでいて、ここまで心が苦しくなる文章は久しぶりでした。

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↑この1文だけでこのCase1の雰囲気が感じとれるとおもいます。素敵すぎる。

 

そして主人公と一緒に秋房と凛に読者であるじぶんが心を動かされまくるんですよね。

一緒に秋房に傾倒しそうになるし、凛の魔性さには心を奪われました…。

いままで生きているなかで、考え方や作品がとても好きで、実際に他者に傾倒していた経験がある人間には、有島の秋房への同一化をしようとしていく様には、心にくるものがあるのではないかと思います。

そして凛の、揺さぶり方がうますぎる。緩急が丁寧。

哀愁を漂わせ、女として男心を狂わす妖艶さと嫉妬の描写を描きながら、歳相応の様子も見せる。

これに惹かれない男おるか? 一番すきなヒロイン。

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・一度死の淵にまでいった主人公が、死ぬことを失敗したことで秋房との同一化から完全に離れることになり、とことん自分自身に向き合うことで凛への想いを綴る。

そして凛にそれを読んでもらうことで、物語上どうあるべきか(死んだほうが物語になる、などの、自分の人生を物語と捉えて俯瞰的に考えること)から離れて、凛とどう「生きていくか」となっていくのがとてもよかったですね。

 

それだけにCase3、2と読むことでこの先に「別れ」が必ずあるのが読者の自分にはわかってたので、とにかく悲しく怖かったんですよね。懐妊で別れにつながるんだろうなと思いながら、夏休み期間中の凛と有島の一時の幸せの描写をみていくのは、辛いものがありました。

 

・一番個人的に刺さったシーン。

『そうだ あの日は教授の通夜の日だったんだ。 私たちの出会いの日にも、そこには死があったのか。 死をきっかけとして出会い、秋房という第三者の死を中心として、そこを回っている二人。もしこれが小説なら―――

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そうなれば、その物語には、三幕の全てに死があることになる。

なるほど。もしも私がこのまま死に向かっていけば―― 

そうすれば私の人生もどうやら―― 

物語になるらしい。』

 

先ほどふれた有島による「物語上どうあるべきか」についてふれているシーン。

共通段階のCase1の時点で、秋房ではなく主人公を選んだ妻との出会いにある種の物語性があるのではないかと読者に感じさせておきながら、読み進めるとその出会いについて妻から「なんでも物語にしようとしないでくれる?」と言われ、別れられてしまうのだ。

《それを経た上で》この「死んだら私の人生も物語になる」と感じている描写なのだ。

あまりにも、重い。

そして、本当にそうやって死んだのなら、物語としてあまりにも良すぎるなと客観的に感じてしまう読者としての自分がいるのもまた怖かった。

自分の人生を、自分を主人公とした物語として客観的に見る、というのは誰しも経験があることだろうけど、その中でも自分の死まで選択肢に含めて、どうやったらそれが物語として綺麗になるか、という考えでいうのとは別のものだよなというかんじだ。だからこそ、怖いと思ったんだよな。

 

純文学として描いたことで、「別れ」がいちばん綺麗にかんじた物語でした。

単体でみたとしたらCase1があまりにも完成度が高すぎる物語に感じました。

 

・各Caseをあくまで単独の物語としてみた場合には、Case1がいちばんじぶんはすきですね。

Case1、Case3、Case2の順番にすきです。

 

 

そして、いよいよCase0です。

Case0 世凪と海斗の物語


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各Caseがなぜうまれたのか、そしていままで合間合間で描かれてたこのCase0がどういう世界なのかが読者に少しずつ開示される物語。

この白昼夢の青写真は、すべてこの世凪と海斗について語るものであり、あくまでCase3~1はそのための素材であるわけです。あんだけ完成度の高い短編が、すべてこのための物語の下地になっていることに感動。

 

伏線と謎解きの要素もあって、読んでいてだれることがなく、一気に読み進めてしまいました。

タイトルの白昼夢の青写真の意味もわかって、また発売のパッケージのCGがそれぞれでてきてその描写の意味がわかったとき、すごく心地よくなりました。

 

このCase0の感想をどう書けばまとまりがでるのか難しすぎたので、思ったままに必要そうだなと思ったとこだけ書きます。

 

・各Caseがどういう意図で作られた物語なのか

この作品において一番重要なところ。時代もなにもかも違う各Caseを群雄劇をまとめあげるためのメインギミック。

 

そのときの世凪の海斗への感情を小説として残すことで、世凪がアルツハイマーとして記憶を失ったあとでもその時の感情を思い出すための物語。

そのため、各Caseには、世凪がこの小説を書いたときの想いが乗っかっている。

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この設定がすごくうまいなと思っていて、つながりがみえなかった各Caseがすべてつながるのが自然になって、そして各Caseで読んできてじぶんたちが感じた感情がCase0でも早期されるので、この白昼夢の青写真という作品への印象がより深いものになる。

このことを知った上で、もう一度Case3~1まで全部やりなおしたくなりますよね。ここの描写は世凪のこういう感情を表してたんだな、とか、この人物はCase0のこの人物と重ねてるんだなとか、このCase1~3のなかの風景とCase0の風景での印象で一致してるところがあるな(秋房の書斎と汐凪の書斎の閉塞感、また汐凪が遊馬の回想のなかで出てきたときのBGMが、秋房のBGMと一致してる)とかさ。

Case3母を失った少年(海斗)が大人のお姉さん(世凪)と出会い、母との思い出との場所を求める話。海斗母を失ったばかりの心情と、幼少期の年下にみえた海斗に対する印象。海斗と花畑を見つけたときの嬉しい気持ちなど。

Case2世凪のこうありたいという姿と、奥手な海斗との関係性。好きな男の子と近づきすぎた戸惑いなど。

Case1母に捨てられ、父親に向き合ってもらえないまま孤独になった女の子。いままで向き合ってこなかった自分に向き合う。子供を本当は産みたいが自分みたいに親に忘れられる子供を作りたくないという気持ち

etc.

 

そして、なぜ各Caseが「別れの物語」だったのか、そうじゃないといけなかったのかを理解させられたとき、ものすごく感極まってしまった…。

 

記事冒頭で、Case3から順番にやったのが正解だったというのはこのためですね。結果的に、世凪が小説を書き上げた順番で、自分も読むことができたから。そのときのCaseに感じた自分の感情が、そのままCase0における世凪の心情に合致していくのは、よかった。

 

この設定であるからこそ、各Caseで、それぞれヒロイン視点での独白が入っているんだなということがよくわかった。そのときのヒロインの心情を小説のなかで直接語ることで、世凪はよりそのときの想いを想起しやすくなるだろうから。

 

そして、アルツハイマーというだけでなく、遊馬の外科的手術によって自我を失ってしまった世凪が、「自分でなくなってしまった為に作ったこれらの物語」を世凪の世界で海斗と紡ごうするシーンは、すさまじかった。

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そして共通部分でのCase0でやっていた作業がどういった意味だったのか、完全にわかるようにつながっていく。

なぜ海斗はこんな実験をはじめたのか、なぜ世凪が退行した状態だったのか、なぜ毎回海斗は記憶を自分でリセットしなければいけなかったのか、なぜそれぞれのCaseを進めていかなければならなかったのか、などなど、いままで疑問に感じてたところが一気に解消され、群像劇として一直線にまとまっていくのは、快感でした。

出雲のアドリブ要素も、ここの箇所で必要になエラーを出さずに進めるために必要なことだったんだなとわかって、伏線のちらばせかたも上手だなと感心してしまう。

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(↑この作品のなかで一番笑ったのは、ここでの出雲のアドリブでした)

 

そして、その世凪が起きたあとは、世凪は「世界」になる選択をし、冒頭のシーンにつながっていく。海斗が、世界になった少女世凪のことを世凪の世界のなかで、語り続ける描写に。

 

・遊馬の正義について

途中から遊馬が世凪に手を出して、世凪が世界としての役割だけを残されるんだろうなと思ってたので、その通りになったときに遊馬の側の正義をどう描くんだろうというのがすごく気になりました。

海斗の側の正義は明確でわかりやすいものだったけれども、それを崩す役回りになった遊馬の側の行動に、どういう正義があったのか、ということを読者に納得させる形で描かなければ、この物語は一気にチープになってしまうと感じたからです。

特に、脳にメスをいれるというアクションは読者にとってはあまりにも一方的な悪の描写に写るほど強烈なものであったからです。方法は経口摂取だとなんとなく思ってたので、こうなのかよ、と自分はショックをうけましたね。

 

説明としては、物語の根幹である、基礎欲求欠乏症と封建身分制社会の構築の理由とともに、上層民としての役割を知った上で、中層におちたあともなお「科学者」として科学的アプローチに従ったまま、幾度の絶望の果てにもあきらめることなく、自らの里桜に対するエゴを貫き通す、主人公とおなじようにこの理不尽な世界への抵抗の正義がえがかれていたので、とてもよかったです。それでも、世凪に対する処置はショッキングでしかないんですけどね・・・。

 

基礎欲求欠乏症について

スリードだったパラグルコースとメラノーマのところに関しては、自分は素直に騙されてました。人工遺伝子の話がでてたときに、昔の下層民に相当する人は粗悪品を使っていた、という話があったので、世凪と海斗はこのときは自分は2人とも親も下層民だと思ってたので、もしかしたらこの粗悪品の人工遺伝子の遺伝によって、下層民はパラグルコースによるデメリットを発現しない身体になってるのかな?とか思ってたんですよね。そうではなく、そもそもパラグルコースがらみすべてがミスリードだったんだなと終盤でしったときは、やられたなーと思いました。

シャチが死んだのも、上層民としての隔離教育がなされる前だったからの知識がなく、それで地上にあがったシャチは人類にとっての偉業を自分が成し遂げたんだという超越的な優越感を大きく覚え満足してしまい、基礎欲求欠乏症を急激に発症から進行までさせて死んでしまったんですね。

母に関しても、元々心優しくいまの生活を受け入れている下層民ということで発症の条件を充たしてて、学校にいっておらずまだ心残りだった息子が、世凪とであったことを知って心残りがなくなったので、一気に進行が進んでしまったんですね・・・。

(↓まだ心残りがあったときの描写)

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このメラノーマのミスリードに終盤近くになるまでひっかかってた原因は明確で、中層の研究で紫外線対策の研究をずっとやってたからですね。特に、その他部署の研究の勢いが強いことで実際に遊馬先生が研究所において端においやられてた描写まで描かれてたのに、それらの中層の研究が実は一切必要のない研究だなんて思わないじゃないですか。終盤読んでて、まじでやられたなと思いました。

 

そしてこの病気の設定によって、なぜこのような地下にすんで前時代てきな社会を構築しなければならなかったのかも、はっきりと説明されててよかったです。

SFとしての完成度も、説得力がすごくありましたね、

 

・幸せなエピローグについて

徹頭徹尾、別れの物語がえがかれていたこともあって、Case0も完全に別れで終わるのかと、ボロッボロ泣いてしまったんですよ。

最近泣けてないしこの作品で泣けなかったらもう僕は泣くことできないんじゃないか感情がしんでるんかなとか思ってたんですが、そんなことはなくきっちりと泣きましたね。泣くに決まってる。

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このまま別れの物語で終わっていても、もちろん名作だったと思います。

 

でも、ここでおわりじゃなかったんですね。

幸せなエピローグがそのあともありました。

 

 

海斗が世凪の物語を世凪の世界で伝え続けることで、皆のなかで世凪が「女神」としての共通認識がつくられ、復活したところは、綺麗だと感じた。

 

世凪の思考空間において、サーバーという考え方を海斗が思い付いたときに以下の会話があった。

 

【海斗】「つまり、みんなに認識されていて、その人柄とか姿にある程度共通認識がる存在。そういう神様みたいなひとであれば、この空間で具現化されるかもしれない」

【世凪】「かみさまが具現化する世界ーーなんかロマンチックだね」

【海斗】「この空間に参加している全員が、かみさまの具現化を望んだ場合だけ、という条件つきだけどね」

 

そこの文章が、世凪が最後に具現化するための伏線だったんだなと。最後までうまいなぁ・・・。

そして、海斗が世凪をこの世界をつくった存在としてずっとみんなに語り続けたことの意味があったということであり、それによってこのなかの住人たちが、層の身分に関わらずこの世凪に感謝していなければ、この具現化はなしえなかったことなんだよな。

 

本当にロマンチックな世界が、世凪の世界なんだなと。

やっぱり、物語はハッピーエンドが一番だよね!!!

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そして、世凪と海斗が出会えたことで、各Caseも、別れの物語である必要がなくなり、各Caseでのハッピーエンドが解放される・・・実に粋が終わり方でした。最高だよほんと。

 

 

こんな素晴らしい作品をプレイできて、本当に幸せです。

Laplacianさんの作品にとても興味がわいたので、この流れで、次はCase3の世界観の舞台になっていた「未来ラジオと人工鳩」をプレイしようと思います。


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(すでに購入済みです♪)

 

以上。